農業の意味と今後
「農業の意味と今後」という勉強会に出てきました。
これは「10年愛」の同期の方が紹介されてたので、職業柄^^;、勉強しにいったものです。
先生役は元トーマツコンサルティングの中川潤哉さん。
もちろん「コンサルのプロフェッショナル」ではありますが、農に興味をもたれて「週末農業」を実践されているとのこと。
スタート前は、「経済学的に見てorビジネス的に見て、農業ってどうよ?」という
話しかと想像していたのですが、そうではなく
「生きるための哲学として、農ってどうよ」
というテーマでした(う〜ん意外)。
中川さん、もとはばりばりの理数系だったそうですが、今は「趣味は哲学」だからこういうお話しになったのかな。
中川さんの「概要」の説明の後、5〜6名でのグループ討議に入ります。
グループ討議のお題目として
- 「学び」とはどういったものか
- 「農から得られる学び」「都市(会社)から得られる学び」とはそれぞれどういったものか
- 「農<会社」という構造となっている都市が抱える問題とは
- では、そこから導かれるビジネスモデルとは何か
というものが提示されました。
とりあえず、わたしの考えた答えはこんな感じです。
- 「学び」とは、“学んだ後の自分”が“学んだ前の自分”から想像出来ないところに到達すること。→ええ、内田樹さんの露骨な影響(ぱくり?)ですね^^;
- 「農から得られる学び」とは、お天道様から得られる学び。“生かされている自分”を知ること。「会社から得られる学び」とは、人(他人)から得られる学び。“人と一緒になにかをやる”スキル。 →農業はどうしても「お天気」とか「その土地の条件」に強烈に左右されますよね。第2次産業以降の産業は、そういった部分から逃れるために作られたとも想うんです。で、第3次産業に従事するわたくし、正直団体戦はすっごい苦手です^^;
- 都市にいますと、「なんのためにコレをやってるのか」がすごくわかりずらくなったと想います。要は「分業」ですから。 →ただ、自分が仮に江戸時代の農民に生まれていたら、今以上に困っただろうなあというのは容易に想像つきますけどね。
- うーむ。経済学的に考えると、「(日本で)農を業とする」のは、あんまり「儲かる」選択ではなさそうです。ただし、必ずしも「稼ぐが勝ち」ってもんでもありませんし(たぶん)、「自分のアクションが困ってるだれかorことを助ける」ことができるのなら、ビジネスの種はその近所に必ずあると思います。
……さて、それって結局落としどころが「ビジネス的に見て……」でないの?と思われるかもしれません。
しかし、中川さんがおっしゃるには
自分のやろうとすることに「確固たる意味を見いだせるかどうか」「思想があるかどうか」
ということが、投資家(エンジェル)を納得させる要件だということなので(大意)
ぜ〜んぜん最後の部分と矛盾はありませんね(^_-)。
自分では言い切る自信がないけども中川さんが言うには「哲学のない実践は「ヒト」の実践ではない」ということなのですよ。
自分自身では、ここらへん、深く共鳴できる(というか「そりゃそうでしょ」と想う)のですけれども、かといって、「まあ哲学がなくても生きていけるしなあ」とも想う今日この頃。
「生きてることに意味がある」のであれば、やっぱり哲学はほしいですけどね〜
少なくとも心の深いところでは、わたし、そう思います。