「キュレーター」ってなんだろうという私考


(photo : creatingonline.com)

松崎哲也さんのブログ「SLツーシン」にある「私が考える、キュレーターと編集者の7つの違い。」(http://sltuusin.blog49.fc2.com/blog-entry-260.html)がとても面白かったので、自分が特に面白かった範囲に限定して、引用を交えながら考えてみました。

だもので、1から7までの全てには触れていません。ほかの「違い」は原文に当たってみてくださいね。

違いその6
編集者は発行(提供)する。
キュレーターは会話(共有)する。
読者に対するスタンスも違ってくると思います。編集者は推敲を重ね、ゲラを重ね、校閲を重ね、一発勝負で世の中に論旨を問います。

自分が紙の世界からウェブの世界に仕事の軸足を移したときに、一番違和感のあったのがこの点でした。(印刷するための)締め切りの時間と「少しでも間違っちゃいけない」というぎりぎり感は日常としてつきものだったのですが、ウェブは、よく考えると後で訂正や追記ができるし、締め切りもはっきりとは示されない「なるはや」なんですよね 。

もちろん、キャンペーンの告知とか、リアルの世界にコンテンツが直結しているものには、当然「リアルの都合」の締め切りがありますが、たとえば、このブログのように「誰からも急かされない」ものだったら、適度に休めばいいし、休みすぎたら読む人がいなくなる(笑)だけです。

その代わり、間違えたら後で訂正できるのはありがたいです(^^;)。
特に僕のように「朝令暮改*1)」を絵に描いたようなタイプだと。

しかも、ウェブにはスペースに制限がないから、逆に「白紙では出せないからコレ突っ込んどけ」というものも存在しないんですよね。

「できたとこから出していく、必要に応じて訂正する」という「永遠のβ版」感覚は、仕事としてウェブを何年か続けてても未だに慣れてないところです。

違いその1
編集者は取材する。
キュレーターは収集する。

もちろん、直接会った方が情報としての質は高まるんだけれども、当然、量には自ずと限界が出てきてしまいます。ウェブへの公表ということであれば、比較的、その情報を得た人が周辺情報をとりやすいので(要は「ググってね」と言える)「こんなことがあるって聞いたor見たんだけど〜」という2次情報でもOKなケースが多いかと思われます。

逆に言うと、たくさんの情報の中から「より抜くチカラ」が必要なだけ

違いその7
編集者は「センス」を提供する。
キュレーターは「視座」を提供する。

が要求されるのかな。「みんながかっこいいと思うだろう(1つの)ものを掲げる」ことは、「情報の海にひしゃくでさらに塩水を足す」ようなことになってしまったのかもしれないけど、「みんなとは違う1つの見方を示す」ことは、「情報の海に浮き輪を投げ込む」ような貴重なアクションになったのかもしれないです。

違いその4
編集者はマルチプレーヤー。
キュレーターは専門家。

とくに最近ウェブ界隈を見て思うのは、「専門家」のコンテンツも非常に充実してきたことです。特に「ホワイトカラー」に分類される方々は、(その道を極めているわけではない)記者・編集者よりも非常にレベルの高いコンテンツを継続的に供給していると思います。

ただ、僕の普段仕事で接点のある方々は、むしろ「(食べる)ものづくりのプロフェッショナル」の方々が多いんです。そうなると、やはり「書く」とか「話す」のは、どちらかといえば苦手な方が多いですね。少なくとも、その方々の「想い」がウェブ上で十分に伝わっているかというと……。

やはり、文字情報、映像情報がベースとなるウェブの世界で、そういった方々のすばらしさを世に伝えるのには、なかなか大変なことが多いのかなあと感じております。

そんな人たちが、ウェブの世界で「一歩前に出る」のをお手伝いできるといいかもな〜、と思った今日この頃でした。


ところで、松崎哲也さんのこの記事は、佐々木俊尚さんの近著『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)』を下敷きにして書かれています。もちろん僕もこの本は買っているのですが、あまりの分厚さにびびってしまい、いまだにちゃんと目を通せていませんのですよ、ほんとどげんかせんといかんです(とほほ)。

*1:ちょうれいぼんかい」と間違って覚えてた(^^;)