2010年、ネットの「ターニングポイント」における貴重なスナップショット 〜 ネットで成功しているのはである

この本との出会いは、昨年、2010年の暮れに、渋谷の雑踏の中にある書店でだった。

とある会合まで、多少時間があったのでふらっと入った本屋さん。
平積みになっていたその本で、最初に目にとまったのはタイトルの
<やめない人たち>
と大書してある部分だった。

……「やめない人たち」???

って、この街にいる、たくさんの人たち、そして自分とどう違うのだろう
何かがひっかかったので、立ち読みでぱらぱらとページをめくる。

この本の前から3分の1くらいのところに「ブロガー110人のリアルな声」という一節がある。
著者であるいしたにまさきさんが、Twitterで「やめない人たち」にアンケ−トをした結果が56ページ分も(!)ずらっと並んでいるのだ。

回答結果は、普通だったら脚注に使われる大きさの、縦横2ミリくらいの、とても小さい字が紙面に延々と列をなしていた。
突然、一つの字句に目が止まった。

……「自分であることを恐れない勇気」???

それは、「ネットで情報発信する際にいちばん必要な個人のスキルは何でしょう」という質問に対する、このブログで何回か引き合いに出している堀正岳さんからの回答だった。

また何かがひっかかった。
でも、もう立ち読みでその先を読み続ける時間はなかった。

ネットが可能にした「やめない=成功」

買って帰って、何度か読み返したけど、どうも「よくわからなさ」が残った。
ネット以前の、既存の「メディア論」の切り口で、単に「情報を発信することとは?」というテーマかな〜という気持ちで読んでいると、意味がよくわからなくなる話が全編にわたって書かれていたからだ。

何ヶ月か経って、著者のいしたにまさきさんの「ブログ再デビュー講座」に出て、ようやっとこの本の「よくわからなさ」の謎が解けた。
結局、下記の2つの点に気がつかなかったから、この本に何が書いてあるか分からなかったのだ。

    1. ネットの上では、「何か自分にないもの」が探され続けている
    2. ネットの上では、一度公表したことは、自分が忘れてたとしても、検索エンジンが覚えている

いわゆる「ホームページ」の時代は、使い方自体は今までの「メディア」とあまり変わらなかった気がする。
更新もとても大変で、HTMLの手打ちか、「ホームページビルダー」あたりでワープロのように書いて、どきどきしながらアップするのがせいぜい。
書いたら書きっぱなしで、リアクションを知る方法は、せいぜい、そこに書いてあるメアドからくるメールくらいしかなかった。

掲示板」というシステムも、掲示「板」という「場」に対して固有のURLが付くので、あとで自分の発言を探そうにも、「流れてしまって」不可能なことも多い。

ところが、「ブログ」と「検索エンジン」という仕組みが一般的になってから事情がえらく変わった。
単に「ホームページの更新が簡単になった」というだけではない。
自分の記事1つ1つに固有のURLが付くので、毎日、記事を積めば積むほど

    • 検索エンジンに見てもらえる可能性
    • ということは誰か「同好の士」にぶつかる可能性

が、どんどん直線的に、あるいは加速度的に(なぜかネット上の口コミになることもあるから)増えていくのだ。
しかも普通のウェブページと違い、ブログは

    • とりあえず更新するのはラク
    • コメント、トラックバック、メールなど(閉めていなければ)ブログの著者にコンタクトをとるのはカンタンな仕組みがあらかじめ内包されている

という、「個人」の力でも扱いやすい条件がそろっている。
更新をひたすら続けていけば、「このブログを書いてる人はどんな人なのだろう」ということは、いやでもブログ全体に立ち上ってくる*1
それが、そのブログの「魅力」を担保する。

だから、どんなネタであれ、この本に書かれている「当たりを引くまでやめない」ことがとても重要なことなのだ。

酷道ラリー」に見る「自分であることを怖れない勇気」

この本では「当たりを引くまでやめない」ということは

ネットにおいては、自分の意見がある程度の影響力を持ったり、それなりの範囲に広がるためには、自分というコップに自分の言葉という水を、コップがあふれるまで注ぎ続ける必要があります(p261)

として表現されている。
ブログという「言葉」のシステムではないが、似たようなシステムの中で、これを実現した例を紹介したい。

ニコニコ動画」に「酷道ラリー」という、ちょっとマニアックだけど、ちゃんとファンがついている動画のシリーズがある。
これは、「国道」とは名ばかりの、通るのさえ大変な、とんでもない山道など、すなわち「国」ならぬ「酷」な道に、作者の「酷ラリ」さんが実際に走行しに行ったときの様子を延々と(笑)映している動画だ。
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ニコニコ動画」の特性で面白いのは、ブログは、たとえ動画を貼り付けた記事でも「記事」にコメントをするのだけれど(このブログの前の記事見てね)、ここでは動画そのもの、すなわち「時間」という属性を持った状態のままでコメント(というか「合いの手」)をすることができることだ。
それで、かのYoutubeにも、ブログにもないおもしろさを生んだのだろう。

この動画のシリーズのうち、四国の国道439号線、通称「与作」を走行したときの動画と、酷ラリさんの「酷道動画の作り方解説」は、酷道をゆく2 (イカロスMOOK)の一部として「商業出版」もされている。

ところで、ニコニコ動画の「酷ラリ」さんのアップ一覧を見ると分かるのだが、酷ラリさんが走行動画のアップを始めたのは3年少し前の2007年9月。
初回のアップを見ると分かるのだけれど、今の動画のスタイルとはけっこう違うものだ。
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ということは、このスタイル、とくに計算ずくで創ったものではなく、酷ラリさんが「自分であることを怖れない勇気」のまま、少しずつ付け加えていったものが、何かの拍子に「当たりを引いた」のだろう。

そして、この一覧(=ログ)は、「当たりを引く」まで、何年かはかかるという一例にもなっている。

世の「成功」の定義を変えるネット、そして転換期のスナップショットとして

結局、ネットで成功しているのは「自分を発信することを」やめられない人たちなのだ。

コミュニケーションデザイン」といったところからは、ちょっと離れたところで、自分なりにひたすらログを積み重ねていく。
そんなことは、単に「好き」というだけでは続くはずもなく、「自分であること」を表現したいという気持ちがなければ、続けることはできない。
やめない、だけではない。実はやめられないのだ

ネットがまだなかった頃、特別有名でもない、それこそ“テレビに出るほどでもない、本を書くほどでもない”個人が、自分の考えたこと、感じたことを、世に出す方法は実質上存在していなかった。

そして、1つの記事にそれぞれのURLが割り当てられる「ブログ」と、強力な「検索エンジン」という仕組みなしには、「自分と似たようなことを考えてる人」「自分と似たようなことが好きな人」、つまり「自分と共感できそうな人」は、そう簡単に探しようがなかった。

意外なことかもしれないが、ネットの上で「自分と共感できそうな人」を探すのに最も効果的な方法は、

「自分が好きなこと」をネットで表現してみる

ことである。つまり「一歩前に出る」ことだったりする。
上で紹介した「酷ラリさん」も、わかりやすい例だろう。

さらには、この本で書かれている

「やめない」という姿勢の背後にはログデータがある(...)ログがあなたにとって価値がある状態というのは、ログがあなたの日常の状態を反映するところにあります。(....)「やめない」という自然な姿勢のほうが、あなたの日常を広げてくれる(p251-252)

ということは、言い換えれば、仮に「間が空く」ことはあっても、「やめない」という一点で、何事もなかったかのように続けられるのも、それが「自分そのもの」に根ざしたことであるからだろう。
「自分そのもの」は「やめられない」から。
やめられるのは「表現する」ことだけだ。

さらに言えば、ネットと検索エンジンの特性から、一度公表したものは、例え公表した本人が忘れていても、「ネットが覚えている」状態になっているから、本人が「もうやめた」と思ってても、ネットのどこかに残っている。
何かの拍子に誰かがそれをおもしろがってくれるかもしれない。

そして、この本には

うまくいくとは「ネットらしく」事が動くということを意味しています。(...)それは公開することで、お金以上の何かを公開した人のところに運んでくれるからです。(p251)

と書いてある。

つまりネットで「成功」している人とは、今まで定義されてきた「成功」をあまり気にしていない人。「お金以上の何か」をおもしろがれる人たちでもあるんじゃないだろうか。

「お金以上の何かをおもしろがること」は今までも語られてきたかもしれない。
ただ、「なんでそんなことができるのか」ということは、あまり語られてなかった気がする
その具体的な方法はこの本に書いてある。
その方法はある意味「百者百様」だから、この本に書いてあることから、それこそ「自分に合ったやり方」を試してみればいい

「ネットに表現することをやめない」ことで失うものは、せいぜいちょっとの余暇と、ちょっとのお金だけだ。


今まで、普通に生活している分には、問われることのなかった「幸福」とか「成功」を、いつのまにやら別のものに変えようとしているネットという不可思議なもの。

そういった「2010年における『やめない人たち』のスナップショット*2の集積」という切り口が、この本に、重要な社会学的意義を与えることになったのだ。

ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である

ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である

*1:って、この「100ps」は??

*2:もう一度、表紙を見てみるべし!